あの当時、皆まだ6歳から14歳だったのにね。
覚えてるもんですよ。
子供の記憶力舐めたらあかん。
いや、昨日の夜ね、ボーリング大会してたんですよ。
私の会社の子達や、うちの人の会社の子達、私とうちの人の友達でね。
まあ、世間一般で言うブライングデートってやつですね。
人数多いけど。
まあ、とてもブラインドデートの雰囲気じゃなかったけどね。
お葬式の様だったよ。
話に出るのは、9/11の時の話ですよ。
そしてまた今回あるだろうね、って。
アメリカはいつあってもおかしくないし、フランスやイタリアでもあるかもね、って。
それで昨日集まった子達さ、たまたまお父さんが政府関係の仕事の子達が多かったんだ。
私とかうちの人のお父さんもそうなんだけど、あの時、ペンタゴンにいるはずだったんだよ。
まあ、予定が変わったとかで、ウエストヴァージニアとか、コロラドとかにいたらしんだけどね。
でもそんな事、子供達は知らないじゃん。
それでペンタゴン攻撃されたじゃん。
ほんと連絡全然取れないのよ、お父さん達と。
外部からはペンタゴンと連絡取れないようになってるとか言うじゃん。
電波が妨害されてるとかで。
ああ、ほんとなんだ、って思った。
まあ、あの時は、何処も誰も連絡取れなかっただろうけどね。
何処もかしこも電話パンク状態だったと思うよ。
9/11の後もさ、かなりざわついててさ。
9/11で終わりじゃないって言うかさ。
その後もなんかあったんだよ。
なんかあった、っていうか。
アメリカの主要都市のダウンタウンとかさ、大きなモールとかが次の標的、ってことで近寄るんじゃない、って話で、封鎖されたりもしてたんだよ。
それでも親達は気が気じゃないじゃん。
だからお母さん達が子供達を連れてしばらくの間、アメリカ脱出。
皆、国外に暫く滞在してた。
ビン・ラディンが死んだ時さ、歓声あげたよね、皆で。
私はその事を知った時、ちょうど外出中だったんだけど、街中で叫んだよね。
ビン・ラディンが死んだ!、って。
周りの人達が、えっ!?、って顔してて、その中の1人の人が、ビン・ラディンの死体あったの?、って。
だから私、ビン・ラディンの死体は確認されたの!!!、って叫んでた。
そしたらもう、皆で拍手喝さいよ。
私達にとっては、彼の死って言うのは、アメリカ人皆が当然の如く渇望していたものなわけだけど、お前誰だよ、ってよくわからない外国人でさ、国家ぐるみで殺人を行ってそれを喜ぶ野蛮なアメリカ人、みたいな事を言ってる人もいたんだけどさ。
テロ行為を容認するのかよ、お前の国では?
そっちのほうがよっぽど恐ろしいわ。
野蛮で結構ですよ、テロ行為には屈しないんですよ、アメリカは。
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